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2019-05-15

「ブレない男」にチャンスが集まる!? 目立ちたがり屋が挑む有名美容師への道 -SHACHU KOUSEIさん U29次世代美容師-

次世代美容師として注目される「U29美容師」のサクセスストーリーから、成長のヒントを「美容師のタマゴ」へお届けする企画「U29次世代美容師」。今回は、カラー技術に定評がある人気店、SHACHU渋谷本店で店長を務めるKOUSEIさん。「有名になりたい」という想いを抱き、上京したのはわずか2年半前。現在は、美容師としてお客さまに支持に応え、店長として後輩育成にも注力しています。今回はそんなKOUSEIさんに、美容師になる前から今に至るまで、どんなことを考えて歩んできたのか聞きました。


自分にスポットライトが当たる瞬間が好き

小学生時代は「みんながやっているから」という理由で野球をしていました。でも中学からはバスケ部に。野球部は坊主頭じゃなきゃダメだったし、本当は野球するのがそんなに好きじゃなかったんです。

野球って基本、ボールがくるまで暇じゃないですか。ピッチャー以外はボールがこないとスポットライトが当たらない。その点、バスケは5人でつねにパスを回している。しかも、シュートやパス、ドリブルにカッコいい技がありますよね。そんな理由で、バスケ部に入部しました。

僕はそのころから髪が長かったし、華奢だから女の子と間違えられたりしていました。どちらかというと、好きで髪を伸ばしていたんじゃなくて、単純に変な髪形になるのが嫌で、床屋さんで切るのが怖かったんですよね。親に無理やり連れていかれて切っていました。

高校時代は週6日でバイトをして、自分で学費を稼いでいました。マクドナルド、吉野家、イベント設営スタッフなど、さまざまな仕事をしました。仕事は嫌じゃなかったけれど、バイトリーダーになって、自分よりも10歳以上年上の人に指示するのはつらかったかな。自分なりに気を遣って言葉を選んでいたことを思い出します。

「美容師ってモテそう…」 有名になって自分の名前を売りたい!

将来は好きなことに関わる仕事がしたいと思っていたので、コカ・コーラで働きたいと考えていた時期もありました。コカ・コーラが大好きだったんです。でも、コカ・コーラで実際に働くイメージはわかなかったんですよね。

それに僕は、いつか有名になりたいと思っていました。歌手や芸能人になる才能はないかもしれないけれど、美容師になれば自分の名前を売れるかもしれない…そんな風に考えて美容師の道へ進むことに。「美容師ってモテそう」と思ったことも決め手のひとつです(笑)。

高校卒業後は地元香川から大阪へ引っ越して、関西美容専門学校に入学しました。勉強熱心な学生ではなかったけれど、目立つのは大好き。学校祭やヘアショーは誰よりもはりきっていたし、面白半分で学級委員長をしたこともありました。

就職活動は、なかなか自分事だと思えなくて…。いよいよヤバイというときに先生に相談すると、「ちょうど勧めたいサロンの先輩がきているから挨拶しておきなさい」と言われたんです。その先輩の勧めでサロン見学に行き、同席していた人事の方がその場で採用を決めてくれました。僕は目をキラキラして、希望に満ち溢れた表情で話を聞くのが得意なので、それがよかったのかも(笑)。あまりの急展開だったので、採用すると言ってもらったとき、「本当に入っていいんですか?」と聞き返してしまいました。

「大阪で有名なヘアメイクは誰?」 答えられず上京を決意

最初に勤めたのは、関西コレクションにも参加しているカラーに強いサロンです。僕は大阪市内の店舗で約4年間、働きました。1年目は仕事を覚えるのに精いっぱい。2年目に負けず嫌いを発揮して、技術を追求するようになり、3年目でスタイリストデビュー。そのころから、有名になりたいという気持ちが、どんどん膨らんでいきました。

今でも忘れられないのですが、知人の有名ヘアメイクさんと話す機会があり、「有名になりたいです」とアピールしたことがあります。そのヘアメイクさんは、「大阪で有名なヘアメイクは誰?」って聞いてきたんですが、僕は答えることができませんでした。「それが答えやで」とヘアメイクさん。やっぱり有名になりたいなら、東京で認められることが近道なんだ、と確信しました。

大阪での暮らしには不満はありませんでした。けれど、どうしても東京で勝負したいという気持ちが抑えられなくなり、Instagramを見てリスペクトしていたSHACHUオーナーの宮地に、客として会いにいくことに。宮地にも上京を勧められ、2年半前からSHACHUで働き始めました。

>普通にモデハンをしたら、キャッチと間違えられる…!

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